寳光寺と鹿野大仏

歴史

文明10年(1478年)、ご開山 以船文済和尚(いせんもんさいおしょう)がこの塩澤の地に来て、天台宗の寺院であった菩提院を改宗し、曹洞宗の寺院として寳光寺を建立しました。
ここから寳光寺の歴史が始まりました。

ご開山様は諸堂を再建しただけではなく、当山には「鹿の湯」と呼ばれる温泉場(鉱泉)の跡が残っていますが、これは400年前、ご開山様が見つけたものです。

ここにご開山様が鉱泉を発見した時のお話があります。

ある日、一頭の鹿がご開山様の草庵前を行き来していたそうです。その鹿をよく見ると、なんと足に怪我をしていました。鹿は次の日も、その次の日も同じように行き来を繰り返していたためご開山様は不思議に思って後をつけました。すると、鹿は草庵の北側の谷間に湧き出る泉で傷ついた足を癒していたというのです。暫くすると鹿は怪我も治り山へ消えていったそうです。
ご開山様はこの泉を「鹿の湯」と命名し、怪我で苦しんでいる人のために草庵を建て、浴室を作ったそうです。そして、この評判が人から人へ伝わり、多くの人が来るようになりました。

この「鹿の湯」は怪我や皮膚病によく効くとされ、明治のころまで大変繁盛し、多摩七湯の一つとしても有名だったそうです。

当山の諸堂は、江戸時代から明治時代にかけての度重なる火災で総門以外すべて焼失しました。32世住職の禅岳昭道和尚が、江戸時代の図面を基に七堂伽藍の復興を成し遂げ、人々の安寧を願い、西多摩に仏教の教えを広めようとうと考え、釈迦如来の大仏の建立を誓願しました。

その遺志は33世住職に引き継がれることとなり、平成25年(2013年)大佛建立事業の建設委員会を発足させ、ご開山様がみつけた湯元の山の上に佛様をお迎えすること、湯元の山を「鹿野山」、佛様を諸々のご縁から「鹿野大仏」と称名し奉まつることとなりました。

大仏は青銅製で山形鋳物で有名な山形市内の鋳造業者が1000年前の技術を用い、数多くの匠たちの手により平成30年(2018年)完成されました。
特別事前公開は同年4月11日より、全貌公開日は決定次第ホームページにてご案内させていただきます。